2015年5月、デビューステージに立った7人に対して業界が下した評価は、おおむね似通っていた。重く、荒く、大衆が好むには強すぎる、というものだった。それから10年が過ぎた2025年9月、MONSTA Xが出したミニアルバム『THE X』は発売初週に427,086枚を売り、デビュー以来の自己最高記録を立てた。その間、サウンドは軽くなっていない。

この MONSTA X レビューは、その11年を整理する。市場が求める方向と反対に歩いたチームがどうやって残ることができたのか、その過程で何を得て何を後回しにしたのかを順に見ていく。
数字で見る現在
表1. MONSTA Xの主な記録(2026年9月時点)
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| デビュー | 2015年5月14日、ミニアルバム『Trespass』 |
| 自己最高の初週売上 | 427,086枚(『THE X』、2025年9月) |
| Billboard 200入り | 4回 — 5位・21位・31位・41位 |
| Spotify累計再生 | 18億回 |
| Spotify月間リスナー | 約120万人 |
| 進行中のワールドツアー | 『THE X : NEXUS』、2026年1月にソウルで開幕 |
和らげろと言われても、そうしなかった
MONSTA Xの出発点はオーディションのサバイバル番組だった。2014年末に始まったMnet『NO.MERCY』で練習生13人のうち7人が残り、その7人が2015年5月に『Trespass』でデビューした。デビュー曲はハードコアなヒップホップで、続くアルバムも方向を大きく変えなかった。
同じ時期のK-POPシーンの主流は、明るく親しみやすいイメージだった。重いサウンドと強いコンセプトを前面に出したチームに市場が送った信号は明確で、路線を和らげろという助言も付いてきた。MONSTA Xが選んだのはコンセプトを薄める側ではなく、密度を上げる側だった。
この判断が個人の好みにとどまらなかったことは、以降のアルバムの制作構造に表れている。ラッパーのJoohoneyはミックステープでプロデュース力を積んだのち、2021年にタイトル曲「Gambler」を自ら作詞・作曲・プロデュースし、続いて「Rush Hour」と「LOVE」まで立て続けにタイトル曲を担った。3曲とも、パフォーマンスが伴ってはじめて完成する重い曲である。K-POP市場がしだいに軽く聴こえる方へ傾いていた時期に出た選択だった。
同じ姿勢はメンバーの言葉からも確認できる。メインボーカルのKihyunは、ソロ活動のあとにミュージカルや演技のオファーが続いたときにそれらを辞退し、周りが差し出す数多くの正解のあいだで、結局は自分の感覚と選択を信じて進むと語った。台詞を覚えるより、今はまだ音楽をすることがいちばん幸せだという言葉も添えた。
メンバー自身がつくる構造をアイデンティティに据えたチームは、MONSTA Xだけではない。13人がそれぞれの役割を分けて自主制作の体系を立てた例はSEVENTEENレビューで扱った。ただしMONSTA Xの場合、自主制作が向かった先が大衆性ではなく密度だった点が異なる。

舞台が先に答えた
この路線が最初に説得力を得た場所は、音源チャートではなく舞台だった。激しい振付をこなしながら音源に近いライブを保つ力が知られるにつれ、MONSTA Xには舞台を信じて見られるチームという評価がついた。
2018年「Shoot Out」の冒頭の振付が、その評価を大衆にまで広げた。胸を弾ませて震わせるこの動きは、曲のトラップとロックが入り混じった質感を身体に移し替えたものに近く、ミームやカバーダンスへと広がってグループの認知度を押し上げた。強いサウンドが負担として読まれていた地点が、むしろ視覚的な署名になったわけだ。

パフォーマンスの性格がひとつの方向にだけ固まらなかった点も見ておきたい。2020年「Love Killa」は先行曲の激しい動きを取り払い、ポケットに手を入れたまま最小限の動作で曲の空気を引っ張った。反対側の表現を同じチームの署名にしてみせたのである。
舞台に対する評価は賞でも確認された。2020年のAsia Artist AwardsでMONSTA Xは年間ステージ部門の大賞を受けた。デビューから約6年目の初の大賞であり、部門名そのものが、このチームがどこで認められたのかをそのまま指している。
舞台へのこだわりは最近まで続く。2025年7月のコンサートでは、長らくファンが求めてきたライブバンド編成を初めて導入した。すでに完成した構成を繰り返す代わりに、舞台の条件そのものを変えた選択だった。
国内より海外が先に気づいた
MONSTA Xの成長経路は一般的な順序と逆である。国内で地歩を固めてから海外へ出たのではなく、海外で先に反応が来て、その熱が国内へ戻ってきた。
国内初の音楽番組1位はデビュー2年後の2017年、「Dramarama」で得た。しかしその後の成長を動かしたのは国内チャートではなかった。2018年にはiHeartRadio Jingle BallでK-POPグループとして初めてメインステージに立ち、翌年にはアメリカの地上波朝番組と深夜のトーク番組に相次いで出演した。
そして2020年2月、初の英語フルアルバム『All About Luv』がBillboard 200に5位で入った。当時、このチャートの上位5位以内に入った3組目のK-POPグループだった。
この記録は一度きりで終わらなかった。2021年『The Dreaming』が21位、2025年の韓国語アルバム『THE X』が31位、2026年4月『Unfold』が41位に入った。『Unfold』によってMONSTA Xは英語フルアルバムを3枚出した初のK-POPグループとなり、3枚とも Billboard 200に名を残した。
強いサウンドがアメリカのチャートで通用した例は、このチームだけではない。似た軌跡はNCT 127レビューで、Billboard上位まで続いたもうひとつの経路はATEEZレビューで確認できる。
表2. Spotifyの上位リスニング都市(2026年9月時点)
| 都市 | リスナー数 |
|---|---|
| メキシコシティ | 28,311 |
| サンパウロ | 18,568 |
| クアラルンプール | 18,525 |
| シンガポール | 17,225 |
| サンティアゴ | 16,091 |
上位5都市のうち3つがラテンアメリカである。MONSTA Xのファン層がどこに厚く積み上がっているかを、この表がそのまま示している。2026年のワールドツアー日程にチリが含まれたのも同じ文脈だ。

海外の反応は国内の指標としても返ってきた。初週売上は2021年の約19万8,000枚から同じ年に28万枚へ、2022年32万1,000枚と2023年32万6,000枚を経て、2025年には42万7,000枚に達した。デビュー10年目に自己最高記録が出たグラフである。
散らばっていた4年を、ともに渡った
2021年からメンバーの兵役が始まった。Shownuが2021年7月に先に入り、2023年にはMinhyuk・Joohoney・Kihyun・Hyungwonが順に続いた。完全体での活動が止まった期間は4年近く続いた。
この時期、MONSTA Xは活動を止めなかった。残っているメンバーでアルバムを出し、舞台に上がった。チームの名前を空けておかない方法であり、その分アルバムごとの構成が違った。
2025年5月にHyungwonが最後に戻り、完全体が再びそろった。その年のデビュー10周年に合わせて出た『NOW PROJECT vol.1』は、空白期に発表した曲を6人の声で録り直したアルバムである。当時その場にいなかった声を埋めたものなので、ファンにとっては過ぎた時間をたどり直す形の贈り物に近かった。
Monbebeというファンダム名は、デビュー4か月後の2015年9月に決まった。フランス語で「私の」を意味する mon と「赤ちゃん」を意味する bébé を合わせた言葉で、メンバーたちが自ら付けた。デビュー初期に認知度が低かった時期にチームを支えたのがこのファンダムだったことを思えば、空白期の循環的な活動と完全体での録り直しは、その関係への応答として読める。
長く活動したグループがファンとどんな関係をつくっていくのかはSHINeeレビューで、デビュー10年を過ぎながら自分の場所を確かめた過程はSF9レビューで扱った。

現在の章: 『The Phase』が開く次の局面
2026年2月、末っ子のI.Mが陸軍現役として入隊した。完全体でそろってから半年あまりのことだった。
その間もチームは止まらなかった。1月30日にソウルのKSPO DOMEでワールドツアー『THE X : NEXUS』の幕を開け、4月には英語フルアルバム『Unfold』を出してアメリカ市場での活動を続けた。国内リリースで見れば『THE X』以降およそ1年の空白があったが、その期間はソロとユニットの活動、そして海外日程で埋まっていた。
そして2026年9月4日、ミニアルバム『The Phase』が出た。タイトル曲は「MAGIC」で、「Type X」「SURVIVOR」「Electric Heart」「That’s My Girl」「Sweet Night, Sweet Morning」まで6曲が収められた。所属事務所はこのアルバムについて、より深まった音楽的な色とチームの確かな物語を込めたと紹介した。
11年前、このチームに付いた言葉は大衆性から遠いというものだった。その言葉を聞いた側が方向を変えないままここまで来て、今はその重さがチームを説明する言語になっている。